慰霊碑めぐり
平和記念公園 慰霊碑
被爆樹木めぐり
慰霊碑めぐり案内
ここでは碑めぐりコースの一例を紹介します。
コース例に限らず、ご希望の碑をご案内します。また、バスの乗降場所に合わせてコース設定をします。
その他、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館・広島県立第二中学校慰霊碑・原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑・広島市立高等女学校原爆慰霊碑・バーバラ・レイノルズ氏記念碑など
参考
お時間があれば、本川小学校平和資料館など周辺の原爆関連施設、被爆樹木もご案内いたします。
供養塔前での慰霊式など、平和記念公園内でのセレモニー実施のご要望がありましたら事前にご相談ください。
ピースボランティア
HRCPピースボランティア学習会開催
HRCPピースボランティアは、平和学習に訪れる青少年に「ヒロシマの心」を伝えるため、
自身の平和な心を育て、知識を深めるために学習会を行っています。
平和公園内碑巡り学習や資料館の学習の他、被爆樹木や、被爆建物など被爆遺跡の学習や、
回天基地や、福山のホロコースト記念館など、戦争や平和に関するフィールドワークや、
座学の学習会を企画実施しています。
英語ピースボランティア学習会開催
海外から広島を訪れる方々に英語でヒロシマを伝えるため、英語学習会も行っています。
被爆体験伝承者学習会開催
2014年より、貴重な被爆体験を後世に伝えるため、HRCPの証言ボランティア7名の被爆体験を 伝承するための学習会を始めました。
被爆者の証言
被爆体験証言活動
被爆者は高齢化し、私たちは被爆者から直接体験を聞くことが出来る最後 の世代と言えます。被爆者の「自分たちと同じ思いを二度と味あわせたくない」との切なる願いを 込めた証言に耳を傾けてください。
*平和学習に証言者を派遣しています。
*遠方の被爆体験講演会にはHRCPの伝承者を派遣しています。
被爆証言者の紹介
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石井 冨美子さん HRCP証言者昭和2年(1927)生まれ。被爆当時18才。陸軍船舶廠勤務。 当日は爆心地から約1.2㎞の自宅で被爆。 母と共に崩れた家屋の下敷きになるが逃げ出し、翌7日、 爆心地付近を歩き、惨状を目にした。
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岸田 弘子さん HRCP証言者・広島市被爆体験証言者昭和14年(1939)生まれ。被爆当時6才。 爆心地から約1.5㎞の自宅で祖父、母、弟と共に被爆。体が不自由だった祖父は逃げずに亡くなった。孤児となった夫の体験も伝えている。
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蜂須賀 智子さん HRCP証言者昭和6年(1931)生まれ。被爆当時14才。広島市立第一高等女学校2年生。 爆心地から1.5㎞の動員先の工場で被爆。建物の下敷きになったが、見知らぬ人に助け出された。戦後、3学期になって登校した時、一緒にいた同級生は全滅し、自分だけが生き残ったことを知らされた。
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玉川 祐光さん HRCP証言者昭和7年(1932)生まれ。被爆当時13才。広島県立第二中学校1年生。 爆心地から約2㎞離れた広島駅前の電停で被爆。同じ場所にいた旧友も行方不明となる。爆心地から約600mの学徒動員の作業場所に集合していた同級生は全滅した。
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波田 スエ子さん HRCP証言者昭和11年(1936)生まれ。被爆当時8才。国民学校3年生。 被爆前日、8月5日に疎開先から帰宅、爆心地から800mの自宅で被爆。両親と姉3人が被爆死して孤児となる。戦後親戚に引き取られ、両親が迎えに来るのを信じて待ち続けた。
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吉田 章枝さん HRCP証言者昭和4年(1929)生まれ。被爆当時16才。比治山高等女学校4年生 爆心地から4km離れた学徒動員先の工場で被爆。当時7才の妹、19才の姉、50才の父の家族3人を亡くした。
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若山登美子さん HRCP証言者昭和14年(1939)生まれ。被爆当時6才。国民学校1年生。 広島市内で被爆した父を捜すため、母と市内に入り、二次被爆した。重傷だった父に再会できたが、 9月に亡くなった。
HRCP伝承者の紹介
HRCP証言者の体験や、戦争は起こしてはいけない、核兵器はなくさなければいけないという願い を受け継ぎ、多くの方に伝えていくために伝承活動を始めました。
〈証言者〉 | 〈伝承者〉 |
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石井冨美子さん | 波多野愛子 |
岡ヨシエさん | 波多野愛子・梅津千秋(朗読)・ 古川嘉代子・松井理江(朗読) |
波田スエ子さん | 土橋道子 |
蜂須賀智子さん | 上田知子 |
吉田章枝さん | 松井理江 |