波田さんの8月5日
2025年8月5日。原爆投下前日に心を寄せ、平和の声を紹介する番組がNHK(Eテレ)で放送された。そこには楽しかった家族団らんのようすを話すHRCP証言者の波田スエ子さんの姿があった。
当時小学校3年生だった波田さんは郊外のお寺に学童疎開をしていた。二、三日したら帰すつもりで母親が広島市内の家に連れ帰ったのが8月5日朝のことだった。
4か月ぶりに両親と姉3人の家族に会えた波田さんは大はしゃぎした。夕食にそうめんを食べた。番組内のイラストには、家族でテーブルを囲んでそうめんを食べる姿があり、つゆに入ったピンク色の小エビが描かれていた。波田さんは、コップに小さなエビが入っていたのをはっきり覚えているという。
その夜、満天の星空を見るため2階へ上がった。ミシンの上には16歳の姉の、縫いかけのワンピースがあった。その生地の色ともようを今も鮮烈に覚えているという。「大人になって洋服店で同じ色と水玉もようの生地を見つけ、その生地で洋服を作ってもらったんよ」と見せてくれた。華やかなピンク色に黒い水玉もよう。8歳だった波田さんが二階へ上がる時にチラッと見ただけなのに、ずっと記憶の奥底に残されていたのだ。
翌日、家族全員を失い孤児となった波田さん。前日の楽しかった家族団らん、お姉ちゃんたちと見たきれいな満天の星空、そうめんと小エビ、縫いかけのワンピース、両親と川の字になって寝たこと…。8歳の波田さんの目に映った幸せの光景は、ずっと色褪せることはない。その翌日からの悲惨な記憶を刻んだまま、心の痛みを抱えて生きてきた80年間に思いを寄せた。
