~ヒロシマから世界へ平和を発信~

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秋も深まった11月27日、酒蔵の町、東広島市西条駅に集合しピースボランティア学習会を実施。

原爆の被害というと広島市内のことを考えがちです。でも80年前のあの日、きのこ雲の下にいたのは広島市民だけではなく、仕事や学校など、郊外から多くの人たちが広島に来ていて被爆しました。そして、その日の内に、多くの被災者が郊外の町へ運ばれました。

東広島市にも午後1時ごろから次々に列車で被災者が運ばれてきて、救護活動に多くの方が力を尽くしました。爆心地から20㌔以上離れた東広島市ではどんな状況だったのか?を学びました。

 戦時下では東広島は学童疎開の受け入れ先となり、軍事物資の受け入れ先でもあり、賀茂鶴酒造は缶詰工場だったそうです。東広島の親戚を頼って広島市から移住して、広島市内に通勤通学していた人たちもいました。

 原爆投下後、賀北部隊、警防団など多くの人が救援救護や死体火葬のため広島市内に入り、残留放射線による二次被ばくの被害を受けました。賀茂高等女学校の生徒は救護所に泊まり込み、食事作りや救護手伝いなどをしたそうです。家族や縁者を探すために広島市内に入った人々も二次被ばくしました。

参加者からは「知らなかったことが多く、とても勉強になった」との声が聞かれました。

東広島市には『東広島市原爆被爆資料展示室』があるのをご存知ですか?

小さな展示室ですが、わかりやすい展示をされています。ぜひ一度訪れてみてください。

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